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さー

Author:さー
愛知生まれの東京育ち。
旅と野球とお酒を愛する39歳。女。
フットワークの軽いインドア派。

2012年1月15日、世界放浪の旅に出発。
2014年12月23日、帰国。

行きたいところに行ったら最終的に世界一周になりました。

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一度目の世界一周《船内編》

前にも書きましたが私は23歳の時、世界一周をしました。
それはピースボートでの船旅でした。

街角に貼ってある、あのポスター。
一度は見かけたことがあると思います。

あの団体ってなに!?
と怪しんでいる方も多いのではないかと。

もう11年前程の話になってしまいますが、私の体験談をお話ししたいと思います。

私が乗ったきっかけは例のポスターを見かけたところから始まります。
そのポスターには
『世界中の誰よりも早く21世紀を迎えませんか』
という謳い文句が書いてありました。そう、あの時はミレニアムで大騒ぎしていた年でした。

2001年1月1日、船が日付変更線の上で停泊。世界中で一番早く21世紀を迎えられる。しかもそれは世界一周中の出来事。船でしか出来ない体験。

いつか世界一周に行きたいと漠然と考えていただけの私が見た瞬間「これに乗るんだ!」と心に決めました。

そして説明会を聞きに行き、その場で申し込み。その後に退職届けを出すという、完全に勢いに任せた行動を取ったのです。


2000年10月、私達500人を乗せた船は東京・晴海港を出発。3ヶ月でアジア、中東、アフリカ、ヨーロッパ、南米、南太平洋の島々、計18カ国を回りました。
もちろん念願の21世紀もフィジー近くの日付変更線上で迎えることができました。

とにかく楽しい3ヶ月でした。
34歳になった今でも、あんなに楽しいだけで終わった3ヶ月は他にありません。


そもそもピースボートについては“格安で世界一周を企画しているNGO団体”そんな程度の認識でした。乗ってから色んな噂があったりなかったり…そんなことを初めて知りました。ピースボートの活動に共感して積極的に動いている人もいれば、完全に旅行目的だけの人もいます。もちろん私は後者ですね。

乗船前のボランティア活動(ポスター貼り等のボランティアをすると乗船割引が受けられる)も一度だけ高田馬場の事務所に行ったのですが「あ、この雰囲気無理」と感じてしまいその後一度も行きませんでしたし、船上で行われた団体企画(体育祭やクイズ大会等)にもほとんど参加していません。一切強要されることなく自由参加です。

あと船の中って退屈じゃないの?とよく聞かれますが、毎日いろんなサロン(船の中に5~6ヶ所。もっとかな?)で企画が開かれていて、退屈している暇がありません。
毎朝、新聞にタイムスケジュールが載るのでそれを見て好きな企画に参加します。
団体企画は苦手ですが、個人企画は面白いものがたくさんあったので、私も英語やスペイン語の授業に出てみたり、次に行く国の歴史を学ぶ講演を聞いてみたり、時にはデッキでサルサダンスを踊ったりしていました。
って書くとマジメみたいですが、ほとんど昼過ぎに起きて何もしてませんでしたが。

小さいけど映画館、クラブ、はたまたカジノもありました。始めの1~2週間でみんな自分の居場所を見つけ、その後だいたいそこに居座ることになります。私は受付カウンター前のソファが定位置で、深夜ひたすらそこでダラダラしながらお酒を飲むという、非常に地味な活動をしていました。でも、それが最高に幸せな日々でした。

3ヶ月の旅は短いと思いますが、船旅として考えたらちょうど良いのかもしれません。
そんなに大きくない船の中で限られた人達と生活していると、たった3ヶ月でもいろんな事が起こります。
特に10代から20代の乗船者が多いので、血気盛んというか無謀なことをしている人もいました。初めて海外に行く人も多く、しかも船での生活。タガが外れてしまうんでしょうね。


最後にピースボートと言えば、ピンクボートと呼ばれているほど船の中でいろいろ(ピンク系)あるらしいともっぱらの噂ですが、それは本当かもしれません…?

ええ、もちろん全員ではありません。一部の人達だけ。

ただ、私はこの船に乗って学んだことがあります。もし自分の彼がピースボートに乗りたいと言ったら、何が何でも止める!と。男性陣、間違いなく恋してましたから。彼女いる人も。奥さんいる人までも。。。

乗船後、結婚したカップルも何組もいます。ね、ピンクボートでしょ。


長々と語ってしまいましたが、私は本当に乗って良かったと思っています。最高の友人達に出会えたことが一番。
去年は出航10周年パーティがあって、100人近く集りました。たったの3ヶ月なのに、なんなんでしょうねこの絆。一緒に世界を見た愉快な仲間達とは、これからも深い絆で結ばれていくと思います。



船の中のことばかり書いちゃったけど、行った国の話の方が良かったでしょうか?
クリックしていただけたら、調子乗って続き書いちゃうかもー。

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一度目の世界一周《寄港地編・その1》

前回の記事、たくさんの方に読んでいただけて本当に光栄です。
ありがとうございます。

おだてられて木に登っちゃいそうですが、木に登る前に続きを書きます。

今回は寄港地編です。
(前回の記事を読んでいない方はコチラ

訪問した国を写真付きで紹介したいと思ったのですが、なんせあの頃は
デジカメがなかったのです。たった10年で世の中って変わるものです。

でも紹介したい・・・。

そして私は考えました。
フィルム写真をデジカメで撮ってアップするという超アナログ方式を。
昨日からせっせと写真撮る→PCにインポートする→編集する→ブログにアップロードするという極めて暇人しかやらない作業をしていました。
そんなことやってる暇あったらフィルムをデジタル化しろよ!とか、そもそも世界一周の準備しろよ!とか言わないでいただけると助かります。
そしてこんなことまでしてアップした画像は非常に低画質という残念な結果。

一応、努力はしたんだよということをお伝えして、本題に入ります。

船旅って、ほとんど船上の人で、実際上陸している時間ってほんのわずかなんですよね。
寄港地での滞在時間は、ほぼ1日のみ。
2日間滞在できたのは数カ国。
最長の3日間はペルーだけだったかと思います。

滞在している間は基本的にフリー。
(イスラエルだけはツアー参加が義務づけられていた記憶が)
二日間滞在できる国なんかは自分達でホテル探して泊まってもいいし、船に戻って寝て翌日また観光に出るのもアリです。特に申告もいりません。
他にオプショナルツアーも1カ国につき5~6パターン用意されています。ピースボートは国際交流や物資支援なんかを行っているNGO団体なのでオプショナルも独特のものが用意されていて、それはそれで興味深かったりします。私は観光派ですけど。
ツアーは乗船前に予約してもいいし、定員に達していなければ直前でも申し込めます。

でね、だいたい乗船前に申し込んでお金払うわけですよ。みんな海外初心者のチキン達ばかりなので。
それが、乗っているうちに「あれ?オプショナルいらなくね?」となってきて、どんどん解約、しかもお金が戻ってるというありがたいお話。
カジノでお金なくなっちゃった人は問答無用でツアーキャンセルしてましたね。

そんな感じで私も面白そうなツアーだけ参加して観光していました。
あ、ギャンブルが理由でキャンセルはしてないですよ。ほんとに。


さて、ここでどどーんと行った国を全部紹介しようと思ったのですが、
すでに相当長くなってしまったので次の記事にします。
すみません。

これ、前置き長いスピーチで嫌われる上司と一緒のパターンだ。
本当にすみません。

またすぐにアップしますねー。


おだてられると次から次にと書きたくなってしまう性分です。
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一度目の世界一周《寄港地編・その2》

早速、一度目の世界一周で訪問した国をご紹介します。

台湾
基隆港→台北市内まで市バスで移動。
台北は一度行ったことがあったので一人でプラプラ。日本との違和感ゼロ。

ベトナム
ベトナム
入港時のダナン港

一日目は山村、二日目は漁村を訪ね、現地の方の家で手作り料理を食べるツアーに参加。
山村はオリバー・ストーン監督『天と地』の舞台になった村だった。
夜は現地青年達と交流パーティ。
関係ないけど途中で買ったフランスパンがめちゃくちゃ美味しかった。

シンガポール
ココハシンジュクデスカ?と聞きたくなるような高層ビルの都会。
インド人街を友人とプラプラ。
今後、余程のことがない限り再訪することはないだろうと思った国。

インド
南部のコーチンに寄港。この数年前デリー周辺を旅し、インド人の暑苦しさにエネルギー吸い取られた経験あったので、今度こそは!と臨戦態勢で降り立ったが、ビックリするほど穏やかで親切な街だった。インドはデリーだけで判断してはいけないと悟った瞬間。
2日間滞在期間があったのでホテルに宿泊。日本を出て以来、初めて一人になれた空間。嬉しくて部屋で熱唱。

エリトリア
アフリカ大陸突入。
当時、アフリカの中で一番新しい国だったのが、ここエリトリア。
独立戦争や国境紛争を繰り返していたので、港を降りてすぐ見えた光景は

エリトリア1
こんな建物や

エリトリア2
こんな建物。

他には建物すらない。
そして唯一この町にある観光名所といって連れて行かれたのがここ。

PC036941.jpg

3台の戦車。
この戦車がなぜ観光名所かと言うと・・・

エリトリア4

噴水!!

人を殺す道具から人を楽しませるオブジェへ。 変化の遂げ方がすごい。

さらにエリトリアにとって、水はとても貴重なもの。そんな中で私達の到着に合わせて水を放出してくれたことに感謝。

そして荒野を車でひた走り、車内ではかの有名なインジェラを食す。
*インジェラ・・・エチオピア周辺国での主食。テフという粉で作られた、一見クレープのようなもの。世界一マズイとか雑巾のような味とか表現される。
感想↓
「確かに見た目あれだけど、まずくない。ただ、二度目はないな。」

そんなこんなで着いた先は・・・

エリトリア5

温泉!!!

アフリカで温泉。たまらんねー。この温泉も私達が到着する前に現地の人達が一生懸命掘って整備してくれたそうで、感謝感激。
ぬるめのお湯だったけど、船の中ではシャワーしかなかったから久々にお湯に浸かって幸せ気分。
のところに追い打ちかけてスタッフから、一番絞りが振舞われるー!この日のために隠しておいたとか。
アフリカで一番絞り飲みながら温泉。最高の贅沢。

お店もない町なのでお金を使う機会すらなかったエリトリア。
帰りのバスの中でこの国の紙幣がとても綺麗だという話になり現地のガイドさんが見せてくれました。
その噂の紙幣がこれ。

iphone_20111205032401.png

子供達の笑顔の紙幣なんて素敵きんぐ。
透かしはラクダだよ。

しかも紙幣を見て感動している私達にガイドさんが一枚づつお札をプレゼントしてくれました。
お金が、食べ物が、着る物がなくて、苦しい思いをしている人達が多いエリトリアで、私達が喜んでくれるならと差し出された紙幣。
あれからずっとお財布の中に入れて持ち歩いています。


おっと、またもや長くなってしまいました。
性懲りもなくまた続き書きます。


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一度目の世界一周《寄港地編・その3》

前回の続きです。

エリトリア出航後、スエズ運河を通ってエジプトへ。

両岸に手が届きそうなくらい狭い航路を進んでいると、そこで働いている人達が手を振ってくれました。

スエズ運河3

スエズ運河2


エジプト

ピラミッドや考古学博物館を巡る、オーソドックスなツアーに参加。
そしてピラミッドやスフィンクス、ツタンカーメンを見て、オーソドックスに感動。この旅で楽しみにしていた国の一つだったが、期待を裏切らなかった。

ピラミッド

こんな夕日も見れたし。


イスラエル

この旅のハイライト。
多くの人がパレスチナで平和を訴えるピースマーチをすることを望み、実行していましたが、そんな中で私が何をしていたかというと

死海

死海でプカプカしていましたw

通称プカプカ組。「イスラエル何してた?」→「プカプカしていた」
これ即ち、おバカ組。


ギリシャ(クレタ島)
ヨーロッパ突入。
地中海のリゾート地にテンション上がる。オリーブ畑が広がる丘に登ったり、遺跡を見に行ったり。


*実はこの後クロアチアに行く予定だったのですが船の故障で東京出発が数日延期。そのためクロアチアが削られることに(泣)今回の旅で絶対リベンジ!


イタリア
”ナポリを見て死ね”のナポリ港に到着。
こじんまりとしながらも綺麗な湾曲を描いた港と歴史を感じる雰囲気が素敵。でも「熱海に似ている」と思った時点で雰囲気台無し。ポンペイ遺跡を巡る。夜、レストランで食べたピッツァがこの旅で食べた物の中で一番美味しかった!!


スペイン(バルセロナ)
友人とガウティ建築巡り。
あの発想はどこから来るんだろう。グリム童話のお菓子の家を見ているみたいだった。パエリア美味しい。ワイン大量購入。


スペイン(ラスパルマス)
カナリア諸島にあるグラン・カナリア島。クレタ島に続くリゾート地。久々に一人でのんびり。カフェに行ったり、雑貨を買ったり女子的観光。



と、いう訳で今日はここまで。
こうしてみると、やっぱりヨーロッパは無難な感じですね。
次回、最終回です!


け、決してなんの準備もしていなくて書く話題がないとかじゃないですよ。決して。
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一度目の世界一周《寄港地編・その4》

いよいよ最終回です♪

スペインを出た後、南米に辿り着くまで8日間。陸に上がれない、ひたすら海上生活。この間におかしくなる人続出。疲れもたまってくるし、人間関係も面倒なことが多発した頃。(特にピンク系・・・)

ピンク無縁の私は毎日楽しくビールを飲んでいましたけどなにか。

キューバ
社会主義国らしい暇をもてあました男に「ねーちゃん!オレが観光に連れてってやるぜー!」とラテン系なノリで話しかけられ、なぜかホイホイついていくおバカ。見たかったところに色々連れていってもらいさようなら。彼は本当にただの暇人でした。社会主義こわい。
そして「ゲバラって素敵☆」と旅人にありがちなマジックに陥り、ゲバラのポストカードとゲバラのカレンダーを購入。翌年、私の一人暮らしの家にはずっとそれが飾ってありました。今思うと、ゲバラのカレンダーが飾ってある女の部屋ってイヤだ。


パナマ
本来、入国予定になかったのですがクロアチアに行けなくなり多数のクレームが出たため追加になった国。しかも入港直前の真夜中に寄港が決定。みんな口ポカーンのままバスに乗せられ、パトカー先導の下、市内観光。観光っていうか真っ暗闇の町並みしか見ていない。怖い!撃たれそう!それしか覚えていない。


ペルー
唯一3日間滞在できた国。
初日、移住してきた日本人や日系人の高齢者が通うデイサービス(日中みんなで体操やゲームをしたり、お風呂入ったり、お昼ごはんを食べて過ごすところ)を見学。デイの雰囲気は日本と同じ。この日はみんなで盆踊りを踊りました。その後、一人のおじいさんと話す機会があったのですが、日本を離れて何十年と経つため日本語がたどたどしい。「うまく話せなくて恥ずかしい」と言いながら喋っているうちに突然ポロポロと涙を流し始めるおじいさん。自分の生活を思い出し、そして祖国日本を思い出したんだと思います。
ただ、背中をさするしかできなかったけど、この旅で一番心に突き刺さった瞬間。


2日目、3日目はナスカの地上絵へ。あの頃、あと10年でナスカの地上絵は消えてしまうと言われていたが、未だ健在…。
今回は絶対マチュピチュに行く!


チリ(イースター島)
イースター島

モアイ!モアイ!モアイ!
それしかない。でも、それがいい。
この旅で訪れた中で一番好きな場所。


タヒチ
モーレア島に移動し仲間7人でコテージ一泊。自炊してヒナノビール飲んで、はちゃめちゃに笑って青春でした。24歳の。夜中プライベートビーチで見た星空は忘れない。


フィジー
離島(名前忘れた。確かトレジャー島の隣。)に移動。生まれて初めてシュノーケリングを体験。足着くところしか泳げないのに、そんなところでも魚がウジャウジャ。夢中になり過ぎて、背中とももの裏側の日焼けがひどいことになったのも今では良い思い出。


ミクロネシア(ポンペイ島)
最後の国!
太平洋戦争の時は日本が拠点を置いていた(そしてアメリカの攻撃を受けた)こともあって、日本の影がちらつく島。
水に浸ったジャングルを抜け、ナンマドール遺跡という海上都市跡を見に行ったのに写真が一枚もないのはなぜでしょう。浦島太郎伝説の場所だったはず。代わりに港の写真をどうぞー。
iphone_20111207215927.png



そして帰国。

これが私の一度目の世界一周です。

かなり前のことなので記憶が曖昧なところもあったり、ピースボートの仕組みに関してはその後変更になっている部分も多いかと思います。

あ、そうそう最初に18ヶ国訪問と書きましたが、数えてみたら17ヵ国18寄港地でした。数も数えられなくてすみません・・・。

10年前はブログもなかったので、こうして思い出を残すことが出来て、とてもいい機会になりました。

長々と読んでいただき、ありがとうございました♪♪


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